創造的不眠

 いま、文章を書いている。

 あなたがこの文章を読んでいるという事実は、僕が文章を書き終えているということを証明している。
 現在、深夜2時。夜型の生活というわけではなく、朝は6時か7時には起床する。また、ショートスリーパーというわけでもなく、理想的には8時間の睡眠時間を確保したい。
 では、なぜこんな時間に文章を書いているかというと、眠れないからだ。いや、そのロジックは正しくない。文章を書いていることと、眠れないこと。この両者に相関関係があるのは間違いないが、因果関係が存在するかどうかは未検証だ。仮に、因果関係があったとして、どちらが原因でどちらが結果なのかは不明である。
 文章を書いているから眠れないのか、眠れないから文章を書いているのか。

 いま、文章を書いている。

 毎夜、文章を書いているかと言えば、そんなことはない。ある夜はプログラムを書いている。また、ある夜は、写真や動画を編集している。音楽らしきもの(まだまともに作れない)を作っている夜もある。
 それ以外のこと、例えば、仕事だったり生活だったりで実現したいことがあり、そのための調べ物をしていることもある。いったん調べ物を始めると、まわりが一切見えなくなる。そうしているうちに、夜が西の方へと移動していく。
 あなたが、この文章を読んでいるのは、今夜たまたま文章を書いているからだ。

 こんな生活では体を壊してしまう。
 何とか改善する、つまり、夜は布団に入って寝る、そんな方法がないかと模索した。その模索は、毎夜の睡眠時間を削減して行われた。
 とにもかくにも、問題となっているのは、ネットにアクセスできるデバイスだ。デバイスを操作してるうちに、地球の裏側で太陽が移動している。また、発光するスクリーンが睡眠に悪影響を及ぼすというのは、サンプル数1の体感としても、どうやら間違いなさそうだ。

 そこで、夕飯を食べた後に、あらゆるデバイスをシャットダウンするようにした。スマートフォンも例外ではない。あらゆるデバイスの息の根を止めた。
 ただし、それでは緊急の連絡を受けられないので、電子ペーパー(スクリーンが発光しない)を搭載したケータイと通話専用のSIMを入手した。この組み合わせの調査、検討、実行にいくらかの睡眠時間を犠牲にした。
 犠牲なくしては、得たい結果は得られない。

 それでも、紙の本やメモ帳が残っている。それらと向かい合っていては、ブラジルに夜が訪れてしまう。ブラジルのことはともかく、日本の日付が変わる前に布団に入りたい。
 ここで、とある人から、とあるソリューションを提案される。短針と長身が重力の反対方向で重なる前に、その人に「布団に入りました」とメールを送る。
 くだらないソリューションにも思えるが、実はこれが効果的だった。
 人は、自分との約束は守れないが、他人との約束は守れるものだ。つまり、自分の意志で布団に入ることは難しいが、その人との約束なので、布団に入る。

 いま、文章を書いている。

 事態は改善していない。確かに、日付が変わる前に布団には入っている。しかし、頭の回転が止まらない。
 僕の頭は常に回転している。ストレスが溜まっているなら何も考えない時間を取れば?と言われることもあるのだけど、何も考えない方法がわからない。何も考えない時間を確保して、何も考えない方法を、延々と考えている。
 これは、現代に生きる人には、多かれ少なかれ、そういう傾向があるのではないかという気がしている。

 布団の中で、体の動きを止める。これは、自分の意志の力で実現できる。だが、頭の回転は止められない。意志の力で心臓の鼓動を止められないように。
 くるくるくる。そんな、静かな音ではない。ごうごうごう。あなたが、自宅にドラム式洗濯機を置いているなら、その運転時の音が数倍大きくなったのを想像してみて欲しい。僕は、大学で生物学の研究をしていたせいか、高速遠心分離機の音を思い出す。
 頭の中の高速遠心分離機によって、やがて脳内に沈殿物が生じる。
 それは、非常に純度の高い化合物で、とても価値のある物質のように感じる。そうすると、それを保存したいという欲求が生じ、その欲求がビッグバンのように一瞬で膨れ上がると、僕はビッグバンで生じた宇宙の中で、寝床から這い出すと、殺したデバイスに命を吹き込む。

 もちろん、こんな出来事は日常茶飯事で、寝室だけでなく、歩いている時やお風呂に入っている時にも大小様々な爆発は発生する。
 そのために、歩いている時には常に携えているメモ帳に脳内の様子をスケッチするし、お風呂にはスマートアシスタント搭載の防水スピーカーを持ち込んで、脳から神経を伝って送られてきた結晶をアシスタントに向かって吐きかける。
 そんな日常茶飯のメインディッシュは、決まって、布団に入った後に運ばれてくる。

 僕の中の高速遠心分離機から恩恵がもたらされることが、まったく無い訳ではない。沈殿物を精製してアイデアにし、それを組み合わせてプランにする。日が昇ったら、日が昇る前に起床することも多いのだが、そのプランを実行する。そうして、仕事の品質や生産性が向上する、というケースもある。
 やっかいなのは、そんなケースは希であり、大抵の場合、寝室での脳の活動は換金できないということだ。そもそも、日本銀行券を獲得することや、通帳記帳した時に印字される数値を大きくすることに、あまり関心が持てない。
 自分の創造物を他人に評価して欲しいという欲求も、ほとんど持っていない。創造物をアピールすることがあるが、それは創造物をアピールするという行為自体がまた別の創造物であって、アピールした結果は興味の範囲外なのだ。誰からも評価されなくて構わない。
 そういう状況であるので、睡眠時間と引き替えに創造物を得ても、それが経済的あるいは信頼や実績といった資本へと変わることはない。一方で、肉体的な資本は確実に目減りしていっている。

 いま、文章を書いている。

 他人からは評価されなくとも、自分の文章を後から読み返して満足感を得る。僕は、僕の創造物の一人のファンであり、ファンがいる以上、その創造物には相応の価値がある。
 ついでに自己愛があれば良いと思うのだけど、残念ながら、僕は自分を大切に扱っていない。子どもたちが独立したら、後はどうなっても構わない。
 そんな感じであるから、将来が不安で眠れない、といったことは一切無く、むしろ、不安に感じているのは、この不眠が解消されることで創造性が失われてしまうのではないか、という点だ。
 創造性が失われることは、少なくとも僕にとっては、死ぬことよりも怖い。

 いっそのこと、創造性が失われる前に死んでしまおうか、とも思う。
 創造は、生と死の境界、ぎりぎりのところで行われている。生きるべきか死ぬべきか、思考が渦巻く頭の中で、その問題は上昇気流に乗って大脳新皮質にまで到達する。
 夜な夜な脳内でシェイクスピアらしきもの(読んだことが無いので)が上演されていては、騒がしくて寝ていられない。
 僕は、シェイクスピアを液体窒素で瞬間冷凍すると、乳鉢で丁寧に粉砕する。それを溶媒に溶かして高速遠心分離機にかけて、果たして、上澄みが重要なのか沈殿物が重要なのかと、また、新たな問題を創造する。

 睡眠を殺すことで、肉体は死へと近づく。それが創造的破壊なのだとすれば、つまり、僕の創造により不要になった肉体が破壊される新陳代謝が起こるのだとすれば、もはや個人のレベルの話ではない。この創造物はあなたの中に取り込まれ、そして、次の創造物が生まれる。
 その時に、僕は、もう、いない。

 いま、文章を書いている。

 あなたがこの文章を読んでいる時、僕はまだ存在しているだろうか。


あとがき

 これは、僕だけに起こっていることではなくて、ある種の現代病なんじゃないかと思っています。自分もそんな感じだよという人がいたら、コメント欄か連絡先ページで教えてください。

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